最高裁判所第二小法廷 昭和23年(オ)162号 判決 1950年2月14日
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人等の負担とする。
理由
上告人代理人鍛冶利一の上告理由は末尾添附別紙記載の通りであり、これに対する当裁判所の判断は次の如くである。
第一乃至三点について。
被上告人において本件家屋は直ちに明渡を受け得ると信じて買受けたということは原審挙示の証拠で必ずしも推認し得ないものではないのみならず、かかることは本件解約申入の事由を正当となし得るか否かを決する為めには左程重大な事柄ではない。そして原審においてもこれを以て解約申入の正当事由の一としたものとは認められないから論旨は理由がない。
第四及五点について。
原審における証人京谷大助の証言中には、上告人柴田に対しては被上告人所有の三鷹の家屋を移転先として提供した旨の供述があり、第一審における被告柴田(上告人)本人訊問調書中にも右同旨の供述がある。そして原審控訴人(被上告人)本人訊問調書によれば同人は上告人鈴木の為め三鷹の住宅を明けてある旨を供述して居ることが明だからこれ等証拠によれば被上告人は上告人柴田、鈴木のどちらでも所論三鷹の家に入る意思があれば喜んで提供する意思であつたことがわかる。そして初めは六カ月といつていても愈々被上告人等の中どちらでも差し当り右の家に入つていて移転先を捜し、六カ月経つても尚見出すことが出来なければ、その時はその時でまた何とか話合がつくであろう。現に原審の認定した処によると該家屋は「現在は専ら被控訴人鈴木のため移転場所に予定して、その侭あけてあり若し同被控訴人が希望するならば何時でも移り住み得る状態にしてある」というのである。そして原審は三鷹の住宅を移転先として明けてあるという事実は被上告人が本件争議について誠意を示しているということを説示したものであつて解約の申入を正当の理由ありとする唯一の根拠としたものではない。そして右の事実は正当の理由ありや否やを判断する一つの間接の事情となり得るものであることは勿論であるから原判決に所論の様な違法ありとすることは出来ない。従つて論旨は採用し難い。
第六点について。
証拠の取捨判断は原審の自由に決し得るところであるから所論乙各号証と異つた控訴人(被上告人)本人の訊問における供述を採用して判示のような認定をしたとしても違法とはいえない、所論の如く被上告人所有の家屋は何故に被上告人の企図したインド人の宿泊集会に不適当であるかについて詳細に説明することは親切な態度であり望ましいことではあるが、しかし原判決は援用に係る各証拠を綜合して判示のように認定したものであり且つ援用の証拠によつて判示の如き認定をすることは必ずしも不可能ではなくまた原判決の認定は法則に違背したと認むべき点はないから破棄の理由とはならない。
第七点について。
しかし記録を調べて見るに上告人柴田が借家借間を探す等のことをしなかつた旨の供述の存在しないことは所論の通りであるが、柴田が借家借間を探し求める等移転先のことについて努力したという主張も証拠もないので原判決は判示の如き説明をしたにすぎないものであつて所論の如く虚無の証拠によつて事実を認定したことには当らない。次に原判決は上告人柴田が秋子竜太郎の為めに住宅を新築した事実を以て解約申入れの正当の事由としたものではなく、被上告人は柴田の為め移転先として三鷹の家屋を提供する等争議解決の為め誠意を示したにかかわらず柴田は秋子の為めに家屋を新築し得る資力を有するにかかわらず自分の移転先の為めに借家を探すとか家屋を新築するとかの努力をしない事実をあげ、被上告人の争議解決に対する努力と相俟つて解約申入の正当事由の一つとしたものであるから論旨は当を得ない。
第八点について。
上告人が争議発生以来移転先を探がし求める等の努力をした旨の主張も立証もしないで唯一筋に権利を主張した事実は記録上明である。つまり記録にあらわれた当事者の主張の全趣旨から見て明に認められることで原審がこれによつて所論の様な判示をしたことは少しも違法ではない。論旨は採用し難い。
第九点について。
借家法第一条の二の規定は本来何等正当の理由がないのに、賃料値上げ其他家主の単なる私欲の為めに借家人の住居の安定が侵されることを防止する為めに設けられた規定である。例えば家賃値上げの請求に応じない借家人に対し賃貸借解除、明渡請求を以て脅かして家賃値上げを承諾せしめ又はそれでもなお値上げを承諾しない借家人に対しては解除明渡を強行して他に高賃料を以て賃貸せんとするが如きである。其故法文には「自ら使用することを必要とする場合其他」云々と書いてあつて、当初は「自ら使用する」場合は絶対理由と解されて居たのである。しかし其後漸く住宅難が烈しくなるに従い「正当理由」は借家人の事情をも考慮し双者必要の程度を比較考慮して決しなければいけないと解されるに至り、住宅難の度が増すにつれ右の比較において漸次借家人の方に重さが加わり家主の請求が容易に認められなくなつて来たけれども、立法本来の趣旨は前記の様なものである。其故本件において原審が認定した様な被上告人の明渡請求事由は被上告人の側だけについて考えれば正当の事由といい得べきこと勿論である。これに対して考えるべき上告人等側の事情は第一に住宅難であり、容易に移転し行くべき家が得られないということである。目下の住宅難は顕著な事実であるから其事は上告人において証明することを要しない。しかしそれだからといつて絶対に住宅が得られないというわけではない。親戚、友人等の関係から案外容易に得られた例もないわけではない。其故前記の如く被上告人の側に一応正当の理由が存する以上上告人等の方でも互議の精神を以て家を捜がす努力ぐらいはしなければならない。いくら住宅難だからといつてそれだけで捜しもしないでがんばつているのはいけない。十分努力して捜したけれども移転すべき家を見出し得なかつたという事情であるならば、そのことと被上告人の明渡請求事由とを比較して見て或は上告人等の拒絶が正当と見られるに至るかも知れない。しかし原審の認定した処によると被上告人はともかく上告人等の移転すべき家を提供し今日なお空けてあるに拘わらず上告人等はこれに一顧も与えず、既に二カ年の日時を経過して居るのに其間家を捜す等の努力をした形跡は少しも認められないというのである。原審はこれ等の事実を参酌した上、それでは被上告人の請求を拒絶し得ないものと判定したのであつて此判定を違法とすることは出来ない。被上告人は他に家を持つて居たというけれども原審の認定した処によれば其れ等の家は位置、構造等から見て被上告人が本件家屋の明渡を求むる目的には添わないものであるというのだからこれを以て被上告人の請求に正当理由なしとすることは出来ない。其他論旨では色々原審の認定しない事実を主張し、これを基礎として原審の判断を攻撃して居るけれどもこれは上告の理由とならない。
第一〇点について。
借家法第三条による解約の申入れは必ずしも当初から六カ月の猶予期間を附さなくても解約申入れ後六カ月を経過すれば解約の効力を生ずるものと解すべきであり、本件解約申入後原審最終口頭弁論迄に六カ月を経過したことは記録により明であるから原判決には所論の様な違法はなく論旨は理由がない。
第一一点について。
原判決は争議解決について被上告人は上告人の移転先として自己所有の家屋を提供する等の努力をした事実を以て解約申入れを正当ならしめる一理由としたものであるから所論の如く被上告人の供述だけでは上告人に対し三鷹の家屋を賃貸する法律上の義務は生じないとしても争議解決について被上告人が努力したことを認め得る。従つて所論の如き違法はなく、論旨は理由がない。
第一二点について。
原判決において被上告人が三鷹の家屋を上告人の移転先として提供した事実を以て解約申入の正当事由の一理由としたことは被上告人が法律上三鷹の家屋を上告人に賃貸すべき義務を負担した為めではなく被上告人は温情を以て争議解決に努力した事実と上告人が移転先を求める等の努力をしなかつた事実と相まつて解約申入の正当事由の一理由としたにすぎないから所論の如く判決主文において三鷹の家屋を上告人に引渡すべき旨を言渡すべきいわれはない。なお三鷹の家屋の構造等の説明をしないからとて被上告人が自己所有の家屋を提供して争議の円満解決をはかつたという事実を認め得るから所論の如き審理不尽の違法はない。
よつて民事訴訟法第四〇一条、第九五条、第八九条により主文の通り判決する。
以上は裁判官長谷川太一郎を除いた全員一致の意見である。
裁判官長谷川太一郎の少数意見は次の通りである。
長谷川裁判官少数意見。
第九点について。
原判決は「本件において被控訴人等が何等責むべき事情がないのに永年すみなれたその住宅を失い殊に被控訴人鈴木にあつてはその弁護士として永年使用した事務所をも失い業務上多大の支障を来すことは本人等にとつては堪えがたいところであろう」と説示したが、すぐ其後を受けて「控訴人の本件家屋使用の主たる目的は多数の在日インド人の為め宿泊並に集会の場所を提供せんとするのである。現在いかに之等インド人が宿泊に困難をし、かかる施設を翹望しているかを思うとき又之等インド人の多くが貿易業者であつて日本再建に関係深き人々であり、本来日本としてもかかる施設に関心をもたなければならないことを考えるときかかる施設が一私人の計画になることを以て一私人の酔狂事とみなすことはあまりに酷であり且つ無智であるというべく場合によつては之れによつて被る個人の損失は多衆の利益の為め容認しなければならないと」説示し、現在居住している家屋の外数個の家屋を所有し且つ新たに家屋を建築して之れを売却などしている被上告人が、本件家屋を買受けた目的は被上告人自ら居住する為めではなく、貿易業に従事する在日インド人が上京の際宿泊したり集会したりする為めの便益に供する為めであるという理由を以て被上告人の為した本件家屋賃貸借の解約申入れは正当の事由によるものと判断したのである。しかし、原判決の所謂インド人というのはどれだけ多数なのか、又如何なる実績をあげて日本再建の為め如何なる貢献をなし得るのか、また本邦人が宿泊集会をなすに不便を感じている程度と之等インド人のそれとはどんなに差異があるのか、又本件家屋を被上告人の企図している集会宿泊の便益に供することができない為め被上告人の被るべき損害はどれだけであるのか、原判決によつては知ることができない。被上告人が個人事業としてかかる貿易業者の便益を計ることは誠に結構なことであり、之れを助長してやりたいと言う感じは何人も持つているところであろう。しかし、これと同時に借家人としての義務を怠ることなく原判決の所謂「何等責むべき事情もない」上告人等の住居の安定を計り、それぞれ家業に専念せしめることもまた日本再建の為め重要なことであるといわなければならない。上告人の企図するような施設は、国家又は地方自治体として達成せしめる途もあり必ずしも被上告人の企図した施設によらなければならないとはいい得ないばかりでなく、又被上告人の企図した施設を達成せしめない為めに如何なる程度に原判決の所謂多衆の利益を害するのか極めて明確でない。被上告人が企図した目的を達成し得ないことは被上告人にとつては残念なことであろうが、被上告人自ら営利の為めではなく、また自らの住宅にするのでもないと主張しているのであるから被上告人自らの生活に重大な困難を来すほど切実な問題ではないようである。これに反して上告人等にとつては未曽有の家屋不足の今日、移転先の家屋を探し求めることは事実上、経済上容易なことではなく、ほとんど不可能に近い状態であり、又家屋を新築することは豊かな資力のあるものでなければ不可能であるという事情のもとにおいて、多年住みなれた本件家屋を明渡すことは、生活上切実な苦痛と損害とが伴うことであろう。然るに原判決は漫然多衆の利益の為めには上告人は個人の損失を忍んで本件家屋を明渡すべきであると断じたことは未だ充分其審理をつくさず、其実体を明らかならしめざる概念に基づいて本件賃貸借解約申入の当否を決したものであるというそしりをまぬかれない。
およそ賃貸借解約申入れが正当の理由によるものであるか否かは、諸般の事情を参酌して決すべきこと勿論であるから、本件家屋は如何なる用途に向けられるのか、明渡しを求められた借家人が明渡要求は不当であると主張してひたむきに借家人の権利を主張し続け、訴訟が起きてから二年余も経過したにかかわらず、移転先を探し求める等の事をしないという事実(本件第一審においては被上告人の解約申入れは正当の事由によるものでないと認定して被上告人敗訴の判決を言渡している)及び借家人が移転先を探し求める間家屋所有者において借家人に対し他の家屋を一時使用せしめる意思をもつていたという事実(本件においては被上告人は上告人が移転先の家屋を求めるための期間として六カ月間だけ被上告人所有の他の家屋を上告人に一時使用せしめる意思を有していたようである)もまた解約申入が正当の事由によるものであるか否かを決する資料に供すべきであろう。しかし右の如き事実は、畢竟一の参考資料にすぎないものであつて、当否を決するには専ら明渡しを為すことによつて被る借家人の損害と明渡しを受け得ない為めに被る賃貸人の損害について、比較検討をとげ、何人も納得し得る理由に基かなければ前古未曽有ともいうべき家屋不足の此難局は救われないし、借家法数次改正の趣旨に鑑みて同法の精神にもそわないといわなければならない。
しかるに原判決は前に述べたように漫然たる概念にとらわれ本件家屋の明渡しを受けることができない為め被るべき被上告人の損害と明渡すことによつて被るべき上告人等の損害との比較衡量について何人も納得し得る程度の判断を示さないで本件解約申入は正当であると判示したことは正に借家法第一条の二の正当の事由の解釈を誤つたものであるから論旨は理由があり、破棄をまぬかれないものである。
(裁判長裁判官 長谷川太一郎 裁判官 井上登 裁判官 島 保 裁判官 河村又介 裁判官 穂積重遠)